ねどこのせんにん

最近はお昼過ぎまでうつらうつらと眠り呆けていることがある。

社会的な時間から離れてゆっくりと、流れていくこの時間が好きである。

外の人は学校に行っているかもしれない、外の人は働いているかもしれかい。

僕は羽毛布団にくるまれて眠る。ベッドの上のデジタル時計が13:00を示す。13時かあ。外の人はもしかしたら、もうお昼休みも終えてせっせと就業に戻っているかもしれない。僕はお昼休みを延長する。

 

なるほど、社会は回るのだ。そして僕は寝るのだ。社会は回って僕は寝る。時計が13:04を示している。まだこんな時間か。この部屋では、いや、この寝床では時間がゆっくりに流れているのかもしれない。でも、夕方になって寝床を出ると、ベッドの上で芋虫になっていたのは一瞬の出来事に感じ、頭に何も残っていない。今日自分は何をしたんだろう。何も覚えていない。もうこんな時間ではないか。そういう気分になる。

多分これは寝床の外に出たからであると思う。ベッドの上でゆっくり流れていた内の時間が、そこから出ると早く流れる外の時間に変化する。その落差でこう感じるのだ。

 

時間は多くの場合で相対的であると思う。外の様々な人との関係、関わりの中で時間は変容する。しかし、寝床の上では自分一人である。その瞬間、時間は相対ではなくなる。自分だけの時間が流れる。寝床の上でだけ社会から離れた悠久の時間を感じられる。寝床の仙人である。