僕vs鼻水in教室。~智力の限りを尽くす奮闘記~

春。毎年この季節になると、僕の鼻腔には琵琶湖が出現する。鼻水が琵琶湖の如く、こんこんと涌き出てくる。いわゆる花粉症である。何故、人間が花の交尾に巻き込まれねばならんのだ。甚だおかしい。ふざけるな。花園でセックスするぞ。

 

花粉症患者は一人一つの琵琶湖を持っている。

鼻腔の琵琶湖から流れ出す淀川が右鼻、左鼻問わず濁流となって穴から出てくる。この流れは止めようがない。場所を問わず無慈悲に溢れ出すのだ。家で、職場で、学校で。

そして僕は今、教室で闘っている。

 

今は少人数の言語の授業中。小さな教室。ネイティブの先生。熱心に授業を聞く学生。そして鼻水と戦う僕。

傍目から見ると、僕は集中して静かに授業を受けている一介の学生に見えるかもしれない。

確かに、集中はしている。しかし、その対象は授業ではない。「如何にして鼻水を止めるか。」を考えているのである。

こんなにも真剣に考えているのは理由がある。実は、授業時間残り45分にして、ポケットテイッシュの残機は1である。

完全に配分ミスである。授業前半の鼻水ブーストでポケットティッシュ3パックを消費してしまった。つまり、15分に1パック消費する計算だ。乗りきれない。このペースではポケットティッシュ1つで後半を乗り切れない。

 

こう考えている内に無慈悲にも鼻水は垂れてくる。しかし、少しの鼻水ではティッシュを使いたくない。最後の1パックを失ったが最後、「○大のボーチャン」として後ろ指を指されるのは必至であるからだ。

どうしようか。よし。とりあえず上を向こう。こうすることで鼻水が垂れてこない。かつ鼻水を満タンまで溜められるため、ティッシュを最大限有効活用できる。これは心技体の極みである。

 

しかし、この三位一体の奥義は長時間出来ないという欠点がある。なぜなら授業中であるからだ。長時間上を向いて良い人間など、坂本九ただ一人であるのだ。

下を見ないと人間は生きていけないのだ。

ましてや授業中に上を向き、虚空を見つめる人間など、傍から見れば、精神に何らかの異常をきたした人間としか思えないだろう。

おそらく「あの男は虚空を見つめているのではない。泰然自若として鼻水を溜めているのだ。」などと正当に思ってくれる人間など皆無に等しいだろう。(もしいてもそれはそれで不名誉だ。) 

 

と、ここまで考える。今は斜め45度上を向いている。これならば不自然でないし、尋常ならざる濁流をある程度抑えれるからだ。

 

ここまでで授業残り20分。読者の人たちは、「もしかしたら、こいつ乗り切れるのでは?」と思ったかもしれない。

そう思ったなら申し訳ない。

実は、表現しなかったが残り20分にしてティッシュをここで使い切っていたのだ。アクシデントだった。先ほど上を向いていたときに、鼻の奥がサワサワとしだして遂には「ブァックション!!」とクシャミをしてしまったのだ。

とっさに鼻を手で覆ったが、満タンまで貯めた鼻琵琶湖貯水により、手の中は、突如洪水に見舞われたような惨事になっていた。

それを拭くためにラストポケティを全部使ってしまったのだ。

 

終わった。もうダメだ。ティッシュがない。そして、こんな時でも、そんなこちらの事情はそっちのけで鼻水は今にも溢れ出さんとする。どうしよう。どうしよう。そう焦っていた僕に一つの天啓が聞こえた。「汝、堂々とせよ。」

 

その天啓を聞き、なるほど。確かに堂々とすれば、鼻水など出ていないかのように振る舞えば、大丈夫だ。

幸い、これは抗議形式の授業だ。皆前を向いている。言い換えれば、僕の方を向いているのは先生のみということだ。「よし!!」心の中でガッツポーズを決めた。

そう。僕は鼻水を出す。誰も見てない。大丈夫。鼻の奥から水が湧く感じがする。流れ出す。大丈夫。誰も見ていない。鼻毛ダムを通過する。そして鼻と口の溝を淀川の水が通る。大丈夫。誰も見てない。今の僕はボーチャン。でも大丈夫。誰も見てない。

 

もう鼻水は止まることを知らない。文字通り堰を切った川である。止まらない。

鼻水魔神。それは僕。今まで何故止めようとしていたのだろう。赤ん坊はおしゃぶりを外しても良いだろう。犬は首輪を着けなくても良いだろう。鼻水で僕は逍遙遊の境地に至る。誰も見ていないのだ。

 

そんな上善鼻水の如しとし始めた僕の耳に先生の声が聞こえた。

「make group and discussion 」

その瞬間、僕の隣と前の人は僕の方に振り向いた。僕は鼻水を垂らしたまま、僕の顔を見て唖然とした二人を見た。